すずき超え

はてなで炎上するのが夢です

「毛のないサル」ネタ切れのためnoteから引っ張ってきた話題

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つまんなかったらごめんね

深層心理に「他人は敵」とプログラムされていたようで、幼少のみぎりより(笑)先に攻撃をしかけていくようなところがありました。
 

要するに負け犬の遠吠えというやつで、弱さをなんとかカバーしようとするわけです。

 

私の話です。

 

あと、人間というものが自然の一部だという感覚がすごい強くて、自分を含めて人間全般をなんか生き物を観察するように見るところがありました。これは割と残酷なみかたで、あまり関係ない人が病気とかになっても「自然の理でそうなっただけ」としか思わないような感じでした。 


楽と言えば楽だったのですが、もうちょっと成長して大人になって、他人と暖かい感じで仲良くしたいし、究極をいえば苦手なタイプに対しても愛を持って接したいという遠い遠い目標がありました。

 

しかし、ムカつくやつはムカつくんですよね。

 

例を挙げるのはめんどくさいのでやめます。

 

 

いつも「動物に対しては愛情を注げるし、私自身が人間を動物の一種だと思って(まあ正しいのですが)いるのに、どうして人間には愛情をもって接することができないのかな」なんて考えていました。

 

ある日ヒントが

 

なんかニュースで「原始時代には人肉食をしていたから、暗闇で人に会うと怖いのはその名残」とかいうのを見ました。この説は私はとんちんかんだと思うのですが、これがヒントになぜかなりまして、

 

「あ、そうだ、人間と思わずに毛のないサルだと思うことにしよう」と思いついたのです。

 

毛のないサルという表現は、好きな海外ドラマ「スーパーナチュラル」で天使が我々のことを揶揄して呼ぶときのいいかたです。もっと古い出典があるかもしれませんが、私は知りません。

 

それで自分も含めて、すべての人間をこう考え始めると、とてもいとおしく、どんなダメなやつでも許せるような、かわいいようなそんな風に見えてきました。不思議です。

 

まあその直後にまた、バーさん(母)とケンカしているのかもしれませんが。

 

あと、自分自身に対してはいいけど、実は内心、出会った人すべてに(あ、毛のないサルさん、こんにちは)と言っているのかと思うとたいへん失礼な気もします。が、愛情をこめてそう思っているのでなんとかお許しください。

 

禅の言い方で、「人間はみんなくそ袋なんだ」というのがありますが、こういうのも割と近いのかもしれないなと思ったのでした。どちらも誤解されそうなのですが、「時に奇跡を起こすところが素晴らしいのだが、基本、そうたいしたことない生き物(袋)」って感じです。

 

「時に奇跡を起こす」ところが一番大切なんですがね。

 

このように感じ方が変わったということは、私はこれまであまりにも他人に期待しすぎていたのかもしれません。他人とか世の中とか、大人とかに対し「もっとちゃんとしてて賢くてすごいはずだ。そうに決まっている。だからお前らちゃんとせえよ!」みたいに怒っていたのでしょうか。

 

まあこの「サル」に例えるのもよくよく考えるとサルでも結構よくできた生き物で、逆に人間で「サルでもそんなことしねーよ最低だな」と思えるような犯罪者なんかいるわけですから、完璧なたとえかどうかは、まだまだ悩ましいところです。

ツイッターでお題をいただきました「想像と現実」

ツイッターでいただいたお題について書くコーナーです

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仕事と大掃除と年賀状書きが溜まっています。現在のこの行動、はてなブログを書くという行動は逃避行動と呼ばれるものです。

 

お題「想像と現実」

たしかこんな感じのお題をいただいた気がします。

空想と現実だったかもしれません。

 

想像とは、頭の中なのか心の中なのか、勝手に人間の中で作り上げたもので、変えることができます。

現実は人間の周りのもの、まあ本人の肉体の状態とかもそういいますし、とにかくなんとなく変えることができないんじゃないかという気にさせるものです。

しらんけど。

 

では現実を変えることはできるのか?

 

現実ってある程度変えることはできるでしょ~?

気合入れれば。

ただ、最初に「想像」なりしてどう変えるかってのを決めていかないと効率悪いよね。

 

部屋の模様替えをする手順でも思い出してみればわかるじゃん?

 

はい、これが「想像」と「現実」の関係です。

良いお年を。