ふたつの水体薬師如来
最近、プチ神社仏閣めぐりをしています。
せっかく探検しているので、ちょっとまとめとくというのを思いつきました。
梅雨入り前後に、2か所のお寺を訪ねたのですが、その共通点として、
というのがあります。
うん、第一「水体」ってなんだよってところからです。
そしてこの2つのお寺に、なぜこの共通点があるのか調べて、結局わからなかったよねっていうお話です。とりあえず素人なりの結論てきなもの(仮説)は出してますので、お暇な方はどうぞ。
さてさて「共通点があるし場所も近いんだから、なにか関係あるのかな?」という友達の疑問から、すでに訪れた瀧山寺に続き、たけのこ料理を食べがてら真福寺に聞いてきたのですが……。はて?
訪ねたのは、この2か所。
瀧山寺(愛知県岡崎市) http://takisanji.net/
真福寺(愛知県岡崎市) https://www.shinpukuji.com/
お寺的な基本を整理して比べると、こうです。ホームページから拾ってみました。
書き間違いあれば教えてください。
宗派 | 山号 | 院号 | 本尊 | 開山 | 楽しそうなお祭り | |
瀧山寺 | 天台宗 | 吉祥陀羅尼山 | 薬樹王院 | 薬師如来(元は湧水から出現した水体薬師如来) |
686年、小角(おづぬ)。 一時、荒廃し後に再興される |
鬼まつり(有名人とかも見に来る) |
真福寺 | 天台宗 |
(りょうじゅせん) |
降劒院 (こうけんいん) |
水体薬師如来=井戸の水 | 594年、物部真福(まさち、守屋の次男) | 2018年2月に千日回峰行者の特別祈祷があった(毎年かは不明) |
今回のテーマはそれぞれのご本尊である「水体薬師如来」なので、他にもいろいろツボるポイントはありますが、スルーして「水体薬師如来」に集中してみましょう。
水体薬師如来とは
「水のお体を持つ薬師如来さま」といった意味で、湧水そのものを薬師如来として信仰する、ということらしいです。
いずれのお寺も水の中から薬師如来さま、もしくは像があらわれたのでお寺を立てることにしたという由来です(ざっくり)。
そもそもなんですが、まずインドに元々「水体薬師如来」という如来がいるのかという疑問があります。
それじゃあってことで、ググると、この岡崎市の2つのお寺しかどうも出てこない。
縁起は、902年に大池の中から薬師如来が出現したので、となっています。
でも、「水体」とはついていないのです。
インドまでとても到達できなさそうでした。
水薬師寺
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000423
水体薬師如来の起源それぞれ
簡単にまとめると、下の表のようになります。
訪れたときに、瀧山寺では住職さまに、真福寺では留守番のお坊様にうかがったのと同じですが、各ホームページから整理します。
出現のようす | |
瀧山寺 | 686年、小角が青木山の滝壺から薬師如来を拾い上げ、それを自ら彫った薬師如来の体内におさめ堂を建て「吉祥寺」とした |
真福寺 |
594年、物部真福が山のいただきに霊光かがやき瑞雲たなびいているので、訪れると泉を発見、しばらくすると日ごろ信仰していた薬師如来が顕現、「是好良薬今留在此」と伝えまた水の中に消えた 感激した真福が聖徳太子の許しを得て建立 |
瀧山寺の水体薬師如来の場所の写真
しばらく経っているので記憶が定かじゃないのですが、本堂の裏山っぽいところに湧水があって、その横にこの石碑が立っています。
最近はあまり水が出ないという噂ですが、少し水が溜まっていました。
本堂はこれで、この中に薬師如来像があります。
真福寺の水体薬師如来の場所の写真
この上の建物が本堂で、その建物の中に八角堂があります。
で、その八角堂の中に井戸があり、そこから出るお水がご本尊だということです。
ていうか、井戸<八角堂<本堂 というように造ったのでしょうね。。
八角堂の様子は、お寺のホームページに写真があります。
これは石段の下にある「万年かめ」の石。由来不明w
インドに水体薬師如来になった神様はいたのか?
私自身の疑問としては、「そもそもインドの神様に水体薬師如来にあたる神様があるのかどうか?」というものでした。
つまり、「水体っていう概念を持って最初に名付けたのは誰?」ってことです。
ググっても関西にも「水体」とついた薬師如来がなさそうなので、岡崎市だけなのでしょうか。
薬師如来は、日本では飛鳥時代から信仰されていたということで、物部家はじめ身分の高い人が信者にはいたのも納得。
これまでわかった範囲だと、最初に「水体」の薬師如来がおられるという概念を持った最初の人は物部真福ということになります。(お寺を立てる許しを出したもっと上かもだけど)
豆知識ですが、薬師如来は正しくは「薬師瑠璃光如来」、サンスクリット語で「医者の長」という意味だそうです。ご利益は、健康、特に目の健康。
「水体薬師如来」ってなんなんだ?結論(仮説)
薬師如来はよく聞くけど「水体」ってつくところが気になってしょうがなかったので、調べたりお寺で聞いたりしましたが、聞き忘れたのもあって「水体ってほかでもあるのかな?」「インドにいたのかな?それとも日本で新たにそう呼ばれるようになったのかな?」というのが結局、わかりませんでした。
(たぶん日本だけで呼ばれてる気がする)
真福寺のストーリー仕立ての起源に比べ、瀧山寺のそれは、ふわっとしています。
小角(役の行者小角とリーフレットにあります)は、物部真福よりも後の人とされています。
物理的に非常に近く、山とはいえ昔の人なら歩いて交流できた距離です。
また、瀧山寺はいったん荒廃し、比叡山の仏泉上人永救(ぶっせんしょうにんえいぐ)が中興の祖として寺をたてなおしました。
このとき、檀那として外護したのが、当時の物部家(物部氏)だったということで、ここではじめて真福寺と繋がります。(一番古いと思われる共通点は物部家ではないか)
素人的な結論としては、先に物部家が真福寺を興し、天台宗が伝来した後に天台宗の寺として完成。そして、
仏泉上人永救が荒廃していた出自不明の「吉祥寺」を再興し「瀧山寺」とした。そのときに檀那である物部家と縁の深い「水体薬師如来」を本尊にしたのでは、というところです。(物部家がそのころも真福寺を保護していたなら、当時から兄弟のようなお寺ということもいえるかもしれません)
「吉祥寺」は、もともとシンプル薬師如来をご本尊としていたのだと思うのですが、「良い滝も山にあるし、ここを水体薬師如来にしよう」という流れだったのかもしれません。
あるいは、地元にそんな話が伝わっていたのかも。(後の山岳修行者が箔をつけるために小角の弟子だとか子孫だとか名乗って話を作ったとかもありそう)
また、比叡山で修行したほどの方ですから、滝でほんとうに薬師如来さま+役小角さまと出会われたのかもしれませんが。(つまり、仏パワーで薬師如来さまから直々に昔のお話を聞いた)
ただし、真福寺で伺ったときには「そうですね~なにか関係あるかもしれませんね~」というお話で、真実はよくわかりませんでした。
そういえば、なにか古文書かなんかがあるかどうかも、聞き忘れました。
もっとわかったらまた書きます。